懺悔室

思いやりのない人、と一口に言っても、いろいろある。そもそも思いやる気がない人、相手の感情の機微はわかるけれどどうしたらいいかわからない人、後になってからああすればよかった、こうすればよかったなどと後悔の波が押し寄せてくる人、など。

私はどれだろうと少し考えたけど、全部だと思う。完全に気がつかない時もあるし、気が付いた上でなぜ私が思いやらないといけないんだ?と思ってがん無視することもあるし、地雷を踏み抜いてから相手の表情で「あっ、言ってはいけないことを言ってしまった」と気がつくようなこともある。共通するのは、私は基本的に人を思いやれないということだ。

そんなことを風呂場でくよくよと考えていたら、はっと思い出したことがあるので、今日はそれについて書こうと思います。小学生の頃の話です。最近は幼少期に分からなかったことがハッと今になってわかることがしばしばあって、情緒の成長というのはこういうことを言うんだと思います。人間に近づいています。嬉しいことです。

小学生の時、私には仲のいい友達がいました。低学年の頃同じクラスで、よく一緒に遊びました。いろんな遊びをしました。一緒に公園のブランコを漕ぎながらごっこ遊びをしたり、池の水をかき混ぜたり、スクーターで走り回ったり、それはもう色々と。でも一番頻繁にしていたのは多分、ままごとだったような気がします。家にはぬいぐるみやおもちゃがたくさんありました。ぬいぐるみを喋らせて物語を作るのが好きでした。ぬいぐるみを持ち寄って、どちらかの家でよく遊んでいました。

先に断っておくんですが、私は小学校時代が一番陰湿で、なんて言うかもう、最低な人間だったので、特定のぬいぐるみに嫌いなクラスメイトの名前をつけて遊んだりもしていました。それで鬱憤を晴らしていました。今思えばほとんど呪いの人形みたいなものですが、まあとにかくそうやって遊んだりもしていたんですね。

いつからだったか記憶が曖昧なんですが、モノがなくなるようになりました。水族館で買った腕がくっつくカメのぬいぐるみ二つのうち一つがなくなっていたり、保育園の時に貰った虹色のスーパーボールがなくなっていたり、ティアラを模したおもちゃがなくなっていたり。はじめ、私は気が付きませんでした。彼女が遊びにそれらを持ち寄るようになるまでは。

私は彼女に問い詰めました。どこで買ったの?どこで見つけたの?そう聞くと彼女は決まって、道で拾ったとかなんとか、見え透いた嘘をついていました。腹が立ちました。彼女のことを酷いと思いました。でもどうしてだか、このことを誰かに言いつけようだとか、金輪際付き合いを辞めようだとか、そういう選択肢は自分の頭の中に少しも湧いてきませんでした。遊びに行くことも家に招くことも、特にやめることはありませんでした。

ただそれからは彼女に怒りをぶつけるようになりました。自分がなぜ怒っているのかは明かさずに、こんなこともわからないのか、という思いで。今にして思えば、それは私のものだから返して欲しいと言えば済む話で、それで返してくれなければ付き合いをやめればいいだけの話です。でも私にはそれができませんでした。

そうこうしているうちにクラス替えがありました。彼女とは別のクラスになって、いつの間にか二人ともままごとには興味もなくなって、遊びといえば専ら漫画やゲームになりました。なくなったもののことを忘れることはできませんでしたが、でもまあ、別にいいや、と思うようになりました。中学に上がると時折廊下で会って挨拶を交わす程度の仲になり、別々の高校に進学して、滅多に会わなくなりました。

ただなんとなく魚の小骨みたいに私は当時の出来事が引っかかっていて、それでふと思い出したことがあります。小学生の頃の私には思いやりというものが全くなく、相手にどんな迷惑がかかろうとどうだっていい、という思考の元、傍若無人な振る舞いをしてきました。だから、当時は全く印象に残っていない光景やシーンが、時々フッと頭の中にわいてくる事があって、そういう時は大抵自分がやらかしていた時の記憶なんですけど、それで思い出しました。彼女との遊ぶ約束をドタキャンして他の子と遊んだり、電話口で遊びの誘いに乗っておいて彼女が家に来たら「やっぱり遊べない」と言い放ちごめんも言わずにドアをしめたり(これには一応事情があったのですが割愛します)、まあとにかく、彼女からしてみたら酷いと思われて当然の記憶の数々を。

多分彼女は全部知っていたんだろうと思います。それでも私と遊んでくれたし、遊びの時には私の家から取って行ったおもちゃやぬいぐるみを持ってきて、多分私に怒って欲しかったし、謝りたかったし謝って欲しかったんだろうと、今ならそれがわかるわけです。二人とも怒りや不満を相手に伝えるのが下手だったんですね。きっと。多分。

最近はこんな風にして周回遅れに自分の過失に気がつく事が増えて、とても辛い反面、きちんと生きているのだなあと実感します。そういうお話でした。ここまで読んでくださった方、いるかわかりませんが、ありがとうございました。